分子生物学が解明したカルチノイドとHPVの謎
1章 Rbの謎
分子生物学の教科書「The Cell」には、以下のような記載があります。
「人の癌の、ほとんど全ては「RBシステム」「p53システム」「RTK/RAS/PI3Kシステム」の3つのシステムの異常で発生する。この3つが基本である(20章;癌p1113)」
一方、大腸癌は「WNTシステム」「p53システム」「RTK/RAS/PI3Kシステム」3つのシステム異常で発生します。例外的な存在と言えます。(以前、5つのシステム異常と説明しましたが、(4)を小さな要因、(2)(3)を同系列のシステムと見なすと3システムになります)
発癌の基本的経路 正常なシステム 大腸以外の全ての癌 「RB」「p53」「RTK/RAS/PI3K」 「WNT」は正常 大腸癌 「WNT」「p53」「RTK/RAS/PI3K」 「RB」は正常
では「RBシステムが異常な大腸癌は無いのか?」研究者の疑問は、直ぐに解決しました。
通常の腺癌と異なる「内分泌癌」「未分化型カルチノイド」と呼ばれる特殊な癌が「RBシステム異常(他臓器の癌に似ている)」であることが解ったのです。
以後、この分野の解明は急速に進歩しました。そして集大成と言える論文が2018年のNatureに発表されました。その内容は、あまりにも驚くべき物ですが・・・・著者は、以前Natureに3Dオルガノイドのレヴューをを書いている一流の研究者です。
以下、この論文に沿って説明します。個人的には「おそらく正しいだろう」と予想しますが、まだ定説ではありません。論文では内分泌癌を3つ(グループ1〜3)に分類しています。このグループ分けは、二つの重要な遺伝子=RBとp53に基づきます。低悪性度のNET(カルチノイド)はグループ3に似ます。
<最重要事実>グループ1,2、3は細胞の形態が同じ内分泌癌なのですが、遺伝子解析の結果からは「全くの別物」です。
RB遺伝子 p53遺伝子 内分泌癌(NEC) グループ1 異常 異常 グループ2 正常 異常 グループ3 正常 正常 NET(カルチノイド) 正常 正常
2章 右の内分泌癌(グループ1)
このタイプは、通常の大腸癌から進化して発生します。つまりRBシステムの異常が追加されて、「脱分化」して、より悪性度を増します。
通常の腺癌と内分泌癌が混在した特殊な癌があります。以前は「極めて稀」と考えられましたが、現在は逆に考えれています。この癌は短期間の内に呼称がMANEC⇒MiNEN⇒MEENと変化しました。呼称とは「疾患概念」ですから「疾患概念が激変した」訳です。
進行した大腸癌を詳細に調べると「高率に内分泌癌の要素が見つかる。進行するにつれ、内分泌癌の割合が増えていく」ことが、解りました。つまり腺癌は全て最終的に内分泌癌に変わる。MEENは、その途中過程である、という意見です。
このNeuroEndocrine Cell-Differentiationという現象は、前立腺癌で見つかりましたが分子生物学の世界では昔から有名な現象でした。
このタイプは肉眼形態は非常に進行した通常の大腸癌と全く同じです(BorU型)。また、HNPCCの方に多く見られ、「ゲノム不安定性」癌です。右に多い(CMS1=SSAP由来癌)傾向がありますが、大腸全体に発生します。「進行したCMS1型」と言えますが、チェックポイント阻害剤が有効な可能性があります。
<参考記事>良性ポリープに見られる分化の異常
3章 左の内分泌癌(グループ2)=低分化癌
神経内分泌腫瘍は以前はNeural Crestという「神経細胞」由来と考えられていましたが、現在は、腸管の陰窩由来の「多分化能を持った幹細胞」が腫瘍化する、という考えが主流です。腸の陰窩の発生・分化は血液細胞と同様に「段階的なコミットメント(運命付け)」が起きていると予想されます。造血系では最初に多能性の幹細胞が有り、これが「骨髄系」「リンパ系」に分かれて最終的に好中球やT細胞に分化します。腸も同じで多能性の幹細胞から始まり、パネート細胞、内分泌細胞、杯細胞、吸収上皮細胞と「段階的なコミットメント(運命付け)」が起きて分化していきます(単一祖先理論=Unitary Intestinal Stem Cell Theory)。
グループ2のほとんどが腺腫・腺癌成分が混在しているMiNENです。しかし、その機序はグループ1と異なり「多分化能を持った幹細胞」が腫瘍化することで発生するAmphicrine (両分泌性)carcinomaであると考えられています。Amphicrine carcinomaは「外分泌(通常の腺癌)」と「内分泌」の両方の性質を1個の細胞が持ちます。最も有名なのは虫垂の「杯細胞カルチノイド(GCC)」で、当初から未分化癌との関連(1,2)が疑われていました。また陰窩の深部から発生するため、「粘膜下腫瘍(SMT)」となります。
過去に「腸管の早期の内分泌癌」の報告はありませんが、「直腸の初期のMiNEN」を捉えたという報告が過去に2例あります(下記)。全て日本からの報告で、形態は粘膜下腫瘍です。これらは「初期のグループ2」と思われますが、グループ1が全て「隆起型の進行癌」で見つかるのと対照的です。
(1)「NET G2 と腺癌の直腸MiNEN=粘膜下腫瘍」 2020年の報告
(2)早期の直腸MiNEN 2013年の報告
潰瘍化した0-Uaと記載されていますが、境界が滑らかであり、実は粘膜下腫瘍です。
このグループはp53以外に、通常の大腸癌には無い特殊な遺伝子異常が見られます(E2F、CCNE,Myc,SMARCB,TERTなど)。また潰瘍性大腸炎の方に多いです(1,2)。これらの事から、グループ2は「未分化癌」「印鑑細胞癌」「小細胞癌」「Colitic Cancer」と呼ばれていた特殊な大腸癌と同じ物と思われます。以前から「低分化癌・印鑑細胞癌は粘膜下腫瘍型の腺癌である」という報告がありましたが、それらはグループ2型・内分泌癌と考えると、説明が付く訳です。
尚、p53は犯人ですが、真犯人ではありません(⇒p53と低分化癌)
4章 直腸の内分泌癌(グループ3)=HPV関連癌
グループ3の重要な点は「RB遺伝子、p53遺伝子に異常が見つからない」点です。なのに「RBシステム、p53システムに異常がある内分泌癌」と細胞の形態が似ている訳です。
このような現象は子宮頸癌(原因はHPVウイルス)で有名でした。HPVウイルスは宿主細胞のRBとp53を不活化します。感染細胞は、あたかもRBとp53が異常になったように見えます。
重要な報告がありました。
まず咽頭の内分泌癌の原因はHPVであるという報告が相次ぎました(1.2.3.4.5.6)。
更に子宮の内分泌癌の原因はHPVであるという報告が相次ぎました(1,2,3,4)
更に皮膚に発生する内分泌癌の原因が「ポリオーマ・ウイルスであり(Nature2017年 )、その機序はHPVと同じで「RBとp53の不活化」である(2017年)ことが解りました。
結局のところ「RBとp53を不活化するDNAウイルス」は(未知のモノも含めて)全て内分泌癌の原因になるのでしょう。
研究者はグループ3が直腸にしか見られないことから、原因はポリオーマかHPVか他のDNAウイルスだろうと予想しました。
この予想は的中しました。全例からHPVが検出されたのです。
HPVウイルス 発生場所 内分泌癌(NEC) グループ1 陰性 右側 グループ2 陰性 左側 グループ3 陽性 直腸 NET(カルチノイド) 陰性 直腸
5章 直腸カルチノイド(NET)と内分泌癌、HPVの関係。
WHOの2019年報告には、「NEC(内分泌癌)はP53とRBが異常。しかしNET(カルチノイド)では正常で、代わりにMEN1、 DAXX 、ATRX が異常。だから両者は別物」と記載されています。これは「NETとグループ1 NECは関連が無い」という意味で、NETとグループ2〜3 NECの関連を否定した訳ではありません。グループ2は、前駆体の無いDe Novo型と予想されますが、「NETとグループ3の関連」は極めて可能性が高いと思われます。
当然、上記論文ではNET(カルチノイド)の遺伝子も調べられましたが、全例でHPVは陰性でした。
私は以下のようなモデルを推測します。
「腺腫・腺癌成分の混在(MiNEN現象)」は、グループ1,2,3全てに見られます。グループ3では「内分泌腫瘍⇒腺癌への移行(グループ1と180度・逆の現象)」が起きていると思われます。
「直腸NETが腺癌に移行した(MiNEN化した)」という報告が、以下の2報告があります。これらは「経過中にHPV感染が起きた」と思われます。
(1)1年でNETから腺癌が発生
(2)2年でNETから腺癌が発生
NETからオルガノイドを樹立するという研究が慶應大学から報告されています。NET3株、内分泌癌22株のライブラリーが完成しています。この3株オルガノイドにHPVを感染させて「グループ3型内分泌癌(22株の中にあるはずです)」と同じオルガノイドに変えることが出来れば、最後の「パズルのピース」が埋まります。HPVは培養系が無く純粋なウイルスストックの入手が不可能なので研究は難航すると思いますが・・・・・慶應大学が、このパズルを解けば大発見になります。
6章 直腸・肛門部腺癌とHPV
子宮頸癌と陰茎癌が性行為感染症(HPV)であることは、現在では医学の常識ですが、最近は肛門癌の増加が著しく「3番目の重要な性行為感染症」として注目されています。これらは、「扁平上皮癌」で、咽頭癌・食道癌と同じタイプです。
しかし・・・HPVは扁平上皮癌だけでなく「腺癌」の原因であることが解ってきました。
(1)HPVが子宮頸部の「腺癌」の原因であることが注目されて(文献1 文献2)、「直腸の腺癌の中に子宮頸部腺癌と似た癌がある。この原因はHPVである」と報告されました(2020年 Nature)
(2)肛門管に発生する肛門腺・腺癌(Anal Gland Cancer)の多くがHPV陽性と報告されました(2018年)。
・・・・・これにより、肛門癌は、ほぼ全てのタイプ(扁平上皮癌、内分泌癌、腺癌)がHPVウイルスが原因と言えます(例外は痔瘻や炎症性腸疾患に合併する肛門癌)。
これは、重要な意味があります。HPV陽性の癌は治療に非常に反応し易いからです。
HPV陽性なら人工肛門を回避できる HPV陽性の肛門癌(扁平上皮癌)なら人工肛門にはなりません。何故なら放射線・化学療法が手術以上に効果が高く、こちらが「標準治療」だからです。この理由は「p53が機能を保持しているのでapoptosisを起こし易い(解説)」からです。しかし、HPV陰性の扁平上皮癌は放射線・化学療法の効果が大きく落ちます(文献)。逆に言うなら「HPV陽性の腺癌・内分泌癌も放射線・化学療法が有効」である可能性があります。咽頭癌では「組織型ではなく、HPVの有無で分ける(HPV関連癌)」のが最近の流れです。肛門の内分泌癌への放射線・化学療法の効果は有望(locoregional control =LRC)という報告も出ていま。また、少なくとも「HPV陽性なら免疫チェックポイント阻害剤が有効(ウイルス・タンパクが抗原になるから)」です。「肛門癌に対しては組織型 に関係なく、手術でなく放射線化学療法を行うべき」という意見もあります。
終章
興味深いことに、「大腸の扁平上皮癌(上行結腸と直腸に多い)」でも似たような仮説モデルが提唱されています
他の「特殊な形態の大腸癌(=分化の異常を伴った大腸癌)」全般に共通する現象なのかもしれません。
私は昔は発癌性ウイルスが専門でしたが(⇒経歴)、ウイルスの話は、止めて、患者さんに有益な話で、まとめます
「基本的な大腸癌予防法」のページには「肛門性交を控える。男性同性愛者だけでなく、女性も危ない」という記載はありません。「時期尚早」と判断したからですが、記載すべき時期と考えます。
(1)肛門癌だけでなく、下部直腸癌の一部は、間違いなく性行為感染症である。HPVワクチンが普及しない日本では増加が予想される。
(2)HPVに感染すれば、ヘルペスと同じ潜伏感染が持続する。癌化をポリープ切除では予防できない。対策は子宮頸癌と同じ「小児期のワクチン」と「肛門の検診(HRA)」だが、その体制は、まだ無い。
(3)肛門癌になったら、組織型に関係無くp16(HPVウイルス感染のマーカー)を調べるべきである。陽性なら人工肛門を回避できる。