眠っている悪魔を殺す画期的方法


今回の記事は当サイトの過去の複数記事の「総括」となるものです。癌の治療で最も問題となるのは「再発」です。

 乳癌では早期に骨髄内に転移巣が作られ、これが長期に休眠して再発の原因になることが解りました。この理論は現在の乳癌治療の根幹となるものです

   この現象は乳癌に限らず多くの癌に普遍的に起きている現象らしいと報告されました(2007年NatureReview)。
2019年には大腸癌でも「早期転移」が起きている証拠が報告されました(⇒2019年8月記事)。
   
   これは「癌の早期発見の効果」は小さく、癌の予防(ポリープ切除)が大腸癌対策の要であることを意味します(⇒2019年記事)。大腸内視鏡では「癌の発見」ではなく「内視鏡後・大腸癌」の予防が最も重視されるようになりました(⇒2020年記事
 
早期転移した癌は幹細胞化して細胞分裂を止め「休眠」状態に入ります。この状態では放射線や抗癌剤に抵抗性です(⇒2022年記事

 この治療抵抗性の「眠っている悪魔(休眠した癌・幹細胞)」をどうやって殺すか?が現代腫瘍学の最大の課題となりました。


 一つの有望な治療法は「免疫療法」です。免疫療法は分裂しない細胞へも有効です。休眠はストレス(抗癌剤・放射線)への防御反応と考えられており(2022年Review)、休眠細胞は何らかの「ストレス抗原(⇒2022年記事)」を発現しており、様様な方法(特にPDL-1発現)で「免疫回避」を行っていることが解りました(2021年Nature 2022年Nature)。これは免疫チェックポイント阻害剤が有効であることを意味します。

尚、「ストレスに直面したら細胞分裂を止める」という反応は細菌にも見られ、「あらゆる生物に普遍的に見られる生命の基本的現象」のようです(2004年)。

  
  癌研究と同時に別の研究者達により「老化」の研究が進みました
 良性腫瘍(ポリープ)はいつ癌化するのか?が研究されました(⇒2019年記事

 良性のポリープは「老化している」ことが解りました(⇒2019年記事

老化の研究が進み「老化細胞除去(Senolysis)が現実のものとなりました(⇒2021年記事

更にiPS因子を使った「若返り」も現実のものとなりました(⇒2022年記事
 
そして・・・



休眠した癌細胞は老化細胞と非常に似ていることが解りました。

どうしてそのような事が言えるか?というと「遺伝子発現プロファイル解析」という手法による研究の結果です。(下図。DNA=ゲノム、レベルの話ではなくてm-RNAレベルでの話です)




これは「老化細胞除去・若返り」療法で「休眠癌細胞を殺せる」可能性を意味します(2021年Review 2021年Review


「眠った悪魔」を殺す時代へ!

以下、専門的な話ですが、詳しく解説します

良性腫瘍は「休眠⇒覚醒」を繰り返しながら悪性化する。そして癌も「休眠⇒覚醒」で悪性度を増す
「休眠(≒老化)」は細胞分裂のブレーキ(下図のp53,p21,p16など)で起きます。そして覚醒は、このブレーキが壊れることで起きます。ブレーキの壊れた車が暴走するように覚醒した細胞は暴走し易いのです。これらのブレーキは「癌抑制遺伝子」とも呼ばれます。


           2010年に報告された「過形成ポリープ≒黒子」モデル


正常細胞・良性腫瘍の「休眠・老化」と癌の「休眠・老化」は分子的に違いがある
専門的ですが図解すると下のようになります。乳癌に著効することで有名な分子標的薬「CDK4/6阻害剤」が作用するのはここです。癌の休眠の機序は、BCL-2,YAPなどの「サバイバル遺伝子」の異常が報告されています(2022年Review)が良く解っていません。確かな事は(1)正常細胞の休眠とは機序が違う(2)休眠は遺伝子異常による「固定した表現形質」ではなく「環境(ストレス)に適応するための一時的な表現形質」であるという2点です。



Senolysis療法は良い線、行っているが未だ決定打は無い
最も標準的な老化細胞除去剤は「D+Q療法」です。肺線維症、腎硬化症の患者さんを対象に臨床試験が終了し有望な結果が出ています(下記)。また持病を多く持つ高齢者に投与することを前提としており副作用も軽いマイルドな薬なのですが癌細胞への効果は「今一つ」とされています。もう一つのナビトラックスは180度逆です。

現在、最も有望視されているSenolysis剤
D+Q療法   副作用は軽度  正常老化細胞は十分に殺せるが
癌・老化細胞には弱い2021年review
ナビトクラックス  副作用が強い  癌・老化細胞も十分に殺せる
期待されている(2021年Review)


現在、結果が公表されているSenolysisの臨床試験
 臨床試験 試験の規模   使用された薬剤  効果  副作用
 肺線維症(2019年) 14人 
PhaseT
 D+Q療法  運動能の改善有り
呼吸機能は変化無し
血液の老化マーカーも変化無し
 1名が試験中に肺炎で入院したが、
治療に依ると思われる重大な
副作用は観察されなかった。
糖尿病性腎症(2019年) 9名 
PhaseT
 D+Q療法  皮膚の生検で老化細胞
減少を確認した
血液の老化マーカーも改善
副作用は観察されなかった。


現在、進行中のSenolysisの臨床試験(結果は出ていない) 驚くべきことに老化細胞除去に使用される薬剤の多くは、人類が昔から愛用していた自然食品由来成分です。人類が経験的に「健康に良い」と考えた物には実は深い科学的根拠があった訳です。
 対象疾患  使用されたSenolysis剤
老化フレイル  フィセチン 
 骨髄移植後副作用  D+Q療法
 変形性膝関節症  UBX0101
 COVID19  ケルセチン
 COVID19  フィセチン
 骨髄繊維症  ナビトクラックス



2021年Reviewは開発競争を金の採掘に揶揄していますが、新薬開発は市場原理に従います。今までは製薬会社は「老化細胞除去」に本腰を入れていませんでした。「副作用の可能性のある薬を飲んでまで若返りたい」と考える人(需要)は多くないからです。しかし、これが「癌治療の最終兵器」かもしれない、となると話は別です。今後、世界中の製薬会社が最も投資する分野になるでしょう。そうなれば決定打は遠からず見つかるでしょう。通常の抗癌剤と老化細胞除去を組み合わせた療法は「2パンチ療法」と呼ばれます。下図のような展開も夢でなくなるでしょう。




 
補足:分子標的薬の暗黒面とオブジーボの持つ新たな可能性 
 「癌だけを正確に狙い撃ちする(正常細胞を殺さない)」が分子標的薬の最大の「売り」です。しかし分子標的薬の多くは癌細胞も殺す効果はありません。細胞分裂を止めて「休眠状態を誘導する」だけです。乳癌の場合は休眠の誘導が臨床的に最も効果的な戦略であると考えられています。以前の記事で紹介したようにオリビアニュートンジョンは乳癌で30年、生存しました。休眠療法が成功した典型です。しかし、他の癌でも「休眠の誘導」は長期的に有益なのか?はこれからの研究課題です。
例えばCDK阻害剤(上記)を抗癌剤と同時併用すると抗癌剤の効果が減弱します。CDK阻害剤により休眠が誘導されるからです。しかし抗癌剤投与と「別の日に」CDK阻害剤を投与するなら抗癌剤の毒性を増強できるという報告があります(2020年

癌の休眠、細胞の老化にPD-1が深く関与しているという報告が蓄積しており(2021年Nature 2022年Nature)、今後、オブジーボは「休眠癌対策」の主役になるのではないかと予想されます。