RAS阻害剤の開発・・・・見えてきた大腸癌(ポリープ)撲滅へのロードマップ


下図は2019年の記事 2018年の記事で紹介した物で、米国TCGAプロジェクト(大腸癌ゲノム解読)の結果です



大腸癌の全遺伝子解読から、ほぼ全ての大腸癌(ポリープ)は、以下の「5つのシステム異常」により発生することが解ったのです
(1)WNTシステムの異常(幹細胞化)
(2)細胞分裂システムの異常(RAS系の亢進)
(3)細胞成長システムの異常(mTOR系の亢進)
(4)ブレーキシステムの異常(TGFβ系の破壊)
(5)自殺システムの異常(p53系の破壊)


またTCGAプロジェクトでは大腸癌の中に短期間で遺伝子変異を起こし「薬剤耐性」を獲得するタイプがあることも解りました(Hypermutated Type  上図のHM型 CMS1型 全体の15%)
多剤併用による大腸癌撲滅へのロードマップ

上記の(1)〜(5)のシステム異常の中で (4)(5)は「機能の欠損」なので治療戦略として攻撃対象にはなりません。阻害剤による攻撃対象になるのは「機能が亢進」している(1)(2)(3)3つです

分子標的薬の多剤併用が劇的な効果があるという報告は以前よりあり、当サイトでも8年前(2012年)に「二重攻撃が有効」という記事を書きました。

The Cell(世界で最も権威のある細胞生物学の教科書)」は「分子標的薬の多剤併用が癌に勝利する道である」という主張で、最後を締めています(20章 p1139)。

近い将来(1)「WNT阻害剤(治験中)」(2)「RAS阻害剤治験中)」(3)「成長阻害剤(mTOR阻害剤)」の3剤併用で大腸癌が根治される時が来るだろうと予想されます
(RAS阻害剤の代わりにRAF阻害剤、MEK阻害剤を。mTOR阻害剤の代わりにIGFR阻害剤を使うなど、複数の組み合わせがありますが、本質的にはこの3か所への同時攻撃が基本路線です 2020年最新論文



短期間で遺伝子変異を起こし「薬剤耐性」を獲得するタイプは変異タンパクが多く、抗原性が高いために、オブジーボなどの、免疫賦活剤が有効です



上の図でWNT(幹細胞化)は受容体・阻害剤が最も作り易いタイプです(7回膜貫通型GPCRと呼ばれ、高血圧の薬など多くがこのタイプです)そのため、膨大な数の阻害剤が開発され「癌の幹細胞化を抑える」効果が確認されています(2018年レビュー)。大腸癌の場合は、やや特殊で受容体の下流で異常になっているために阻害剤の開発が、やや難航したのですが、いくつかの治験が始まっています




治験中のWNT阻害剤(大腸癌に限定
青字は受容体阻害剤赤字は受容体
より下流の阻害剤

 メーカー  薬剤
 Novartis社  LGK974
 D3-Institute社  ETC159
 Oncomed社  OMP131R10
 Prism社  PRI724
 WntResearch社  Foxy5
 Roche社  RO4929097



一方、上の図の細胞分裂システムは癌化の中心現象なのですが、(分子標的薬の多くが、ここをターゲットにしています)・・・・特に中心となるRASの阻害剤の開発は難航しました

世界中の試薬会社がRAS阻害剤の開発に莫大な予算をかけましたが失敗し撤退しました。(2019年の記事)  2014年Nature誌は「RAS阻害剤はUndruggable(創薬不能)である」という記事を出しました



なぜ「RASが最も重要か?」というと、ここが「分子スイッチ(GTP結合タンパク)だからです。部屋を暗くするには「ブレーカーを落とす(ハーセプチンがこれです)」「電球を壊す(MEK阻害剤がこれです)」ことでも、達成できますが、一番、簡単で早いのは「照明のスイッチをオフにすること」です。RAS阻害剤は、これに相当します。
2019年 Undruggable(創薬不能)と言われたRAS阻害剤が遂に開発された
まず米国のアムジェン社が開発に成功しました。アムジェン社の株価が上昇!と思ったら・・・アムジェン社の突破口をヒントに(特許に抵触しない方法で)類似薬がどんどん開発されて、複数の治験が進行中です(日本でも始まっています)。この分野の進歩の速さに、我々臨床医は驚くばかりです(文献)。熾烈な開発競争の最終勝者は数年以内に決まり、患者さんの手に届くことになるでしょう

 治験中のRAS阻害剤
 メーカー  薬剤
 アムジェン  AMG510
 Mirati Therapeutics  MRTX849
Janssen Research社  JNJ-74699157
 Eli Lilly  LY3499446
 新RAS阻害剤は癌で変異した部分(K12C)に特異的に作用します。正常なRASたんぱく質には作用しないので副作用が無いのですが・・・遺伝子変異がK12C以外の場合には効果がありません

撲滅の日が何年後になるか?正確な予測は難しいのですが、大腸癌撲滅のロードマップは、ほぼ出来た(後は時間の問題だけ)と、多くの専門家が考えています。


しかし・・・現実的にはコストの問題で分子標的薬の多剤併用は普及していません。

結局、最後はコストが最大の問題になるでしょう。


大腸癌の中でもSSAP由来(RAF変異型 CMS1)はRAS阻害剤は無効で、RAS阻害剤の対象はCMS,分類の2、3、4です。WNT阻害剤の使用にもAPC遺伝子の解析が必要です

このように分子標的薬の適切な選択には、癌のゲノム解読が必要です。下の図は米国の「国家ヒトゲノム研究計画」が発表した物でゲノム解読のコストは急速に下がっています。現在の第2世代技術に、変わる第3世代技術により更に高速化・低コスト化します。

ゲノムを解読しても現実にはAGTCの4文字コードが解るだけで有益な情報が解るのは、ごく一部です(ゲノミクスの限界と呼ばれます)が・・・WNT,RASなどの癌遺伝子は分子生物学の重点研究対象だったため比較的、有益な情報が得やすいのです


問題は分子標的薬の高額な薬価です。


私が医師になった30年前、AIDSは不治の病でした。しかし現在、AIDSの患者さんの平均寿命は健常人と同じです。つまり、高血圧や糖尿病よりも恐ろしくない病気になった訳ですが多剤併用を一生、続けるために生涯、膨大な薬代を負担します。最近は乳癌も似た傾向がありますが、間違いなく大腸癌も同じ道を歩むでしょう

薬価を下げる最も有効な方法は「適応を大腸癌だけでなく大腸ポリープにまで拡大する」ことです(遺伝子異常は同じなので当然、ポリープにも有効です)。

分子標的薬の製造コスト自体は廉価であり、開発に要した投資を回収するために高額になるのです。「ポリープを薬で治す」という方針転換により販売量が増えれば薬価の大幅低下が可能になる訳です。

この試みは米国で始まっていますが、これを進めるには以下の2つの重要な課題があります

(1)RAS阻害剤のような分子標的薬は正常細胞に副作用は無いのか?(この問題はイレッサの間質性肺炎が有名です)
(2)RAS阻害剤のような分子標的薬は細胞分裂を止める(静止)だけで腫瘍細胞を殺さない(永遠に服用が必要)のではないか?


この問題に関係するのが「Oncogene Addiction(癌遺伝子依存症)」と呼ばれる現象で、前回の記事で紹介した「体細胞進化(Somatic Evolution」と深い関係があります

つまりRASが変異した細胞は「変異して活性化したRAS」に依存性になっており、正常細胞に無害な少量のRAS阻害剤で死んでしまうという理論です。陸に上がった哺乳類は酸素依存症になっており、僅かの低酸素で死んでしまうが両生類は耐えられるという現象と似ています。このような「Oncogene Addiction(癌遺伝子依存症)」はERBB⇒RAS系が特に強いことが解っていますが、mTOR系も別名「生存シグナル」と呼ばれ、非常に強いです。

下の図はhttp://cancer-research-decoded.blogspot.com/2012/02/can-tumors-undergo-rehab.html より引用したものですがOncogene Addictionを非常に解り易く解説しています


一方、WNT系は「良性腺腫では高いが癌化すると低下する」という傾向があり、Oncogene Addictionは起きていないようです。WNT阻害剤は「効果と副作用の閾値が近い」使いにくい薬になるでしょう。実際に治験で高い抗腫瘍効果が見られたWNT阻害剤の多くが、強い副作用(正常幹細胞の障害)のため開発中止になっています(2018年レビュー)。

 前回の記事にあるように、我々の大腸には 15万個の前癌病変が存在します。目に見えるポリープを内視鏡で取ればいいと考えるのは「猿のノミ取り」と同じです。ノミを根絶するには殺虫剤(=分子標的薬)を使うことが必要です。

8年前(2012年)に「二重攻撃(分子標的薬の多剤併用)が有効」という記事を書きました。そして今回(2020年)「大腸癌撲滅へのロードマップが見えてきた」という記事を書きました。今、8年前の記事を読み直すと「基礎研究は進んだが、8年間の間に臨床の現状は進歩していない」とも感じます。今回の記事で書いたことは「不可能な夢(妄想)」なのかもしれません・・・

しかし私は、将来の大腸癌予防は「内視鏡(ポリープ切除)と分子標的薬の予防的投与の併用」が重要になる(特にハイリスクの方には)と考えています。このテーマは私の30年前の「学位研究」でもあり、私にはライフワークです。今後もフォローをしていくつもりです。