「病は気から」「癌は神経から」
今回は最近のレビューNervous System Contributes to Tumorigenesis of Digestive Tract Cancerの内容を中心に解説します
「癌の発生には神経が必要」という説は、2013年のScienceに初めて報告されました。
正常組織が再生する時には血管、リンパ管、神経、免疫系の存在が必要なのと全く同じ理由で、癌が肉眼的なサイズの「癌組織」になるには血管、リンパ管、神経、免疫系の存在が必要な訳です(免疫系が癌を促進する暗黒面を持つという話は以前に紹介しました。)
正常な神経を除去すると筋肉が萎縮します(下図)。これと同じで、神経を除去すると癌が萎縮します。
1年後には「除神経治療」という新しい試みが胃癌で報告されます(Science 2014年)。
新たな癌の治療薬を求めて・・・・
当初は「外科的な神経除去」が試みられましたが、「薬剤で代用できないか?」が重要課題となりました。「アセチルコリン」がカギらしいと解ったので、まず、この阻害剤が試みられました。そのような薬剤(抗コリン薬)は既に多数あります。例えば内視鏡検査で使う「ブスコパン」もそうです。
そして、その後「様々な神経作用薬の癌への効果」が調べられました。
「ストレスが癌の原因になる」ことが疫学的に証明されています(特に大腸癌・肺癌・食道癌がストレスとの関連が強いです。一方、乳癌・前立腺癌・卵巣癌などの「ホルモン関連癌」はストレスとの関係は無いようです(文献))。
ストレス学説から、アドレナリンとステロイドが癌促進の重要容疑者として最も注目されました。
・・・・・・・最近はセロトニンがストレスホルモンの仲間入りをしました(下記)
アドレナリン(交感神経)とアセチルコリン(副交感神経)
アドレナリン(交感神経)が癌を促進するという実験の報告は枚挙に暇が無い位に多いです。
例えば・・・・2018年のScienceに交感神経が血管新生のスイッチを入れる、という報告がありました。我々の体内では神経系と血管系が隣接・並走していますが両者の新生はリンクしている訳です。
例えば・・・・2021年の記事では、以下のような「癌休眠」と絡めた研究を紹介しました。ストレスの本来の生理的目的は「闘いのために体を覚醒させる」ことですが、癌も覚醒させてしまう訳です。
一方、人でアドレナリン阻害剤(=βブロッカー、高血圧の薬です)の癌への有効性を調べた調査の結果は「分かれました」
現時点では「ガチンコ勝負」と呼ばれるプラセボを使った二重盲検比較試験(いわゆるくじ引き試験)は行われていません。上記の報告は全て「後ろ向き調査(コホート)」と呼ばれる物です。βブロッカーを飲まれている方は高血圧の持病がありますから、どうしても生存期間が短くなります(βブロッカーに不利な結果になり易い)。
本当に効果が有るかを知るには「くじ引き試験」が必要ですが、これは倫理的に容易には行えません。しかしTNBC(TripleNegative乳癌)、皮膚癌、肝臓癌に関してはくじ引き試験をすべき段階にきていると思われます。βブロッカーに不利な条件の「コホート研究」でも「効果あり」と出たからです。
最近は逆に「アドレナリンの癌予防効果(快ストレス)」の方が注目されています
快ストレスは環境エンリッチメント(EE)とも呼ばれます。スポーツのような適度な刺激(アドレナリン)は有益だという説です。解り易い例はネズミ用ルームランナーです。元々は畜産で研究された現象で、子供の脳の発達に応用され、そして「癌」へと応用されました。
快ストレスの癌抑制効果が2015年のNatureに報告されました。BDNFの増加とレプチンの減少が関与していると2010年Cellに報告されました。免疫強化はNK細胞↑が経路です。
驚くべきことに、βブロッカーで快ストレスの効果は消えました。快ストレスもアドレナリンで起きていた訳です!βブロッカーの臨床試験で明快な効果が確認できなかったのは快ストレスも抑えてしまったからかもしれません
「悪いストレス」も「良いストレス」もどちらも、アドレナリンが主役なのですが、なぜ、違いが出るのでしょう?「持続期間」が重要という説が有力です(⇒以前の記事)。
アセチルコリン(副交感神経)
副交感神経は交感神経に拮抗します。そのため「癌を抑制する」と期待されました。しかし動物実験の段階でアセチルコリンが癌を促進する例(肝細胞癌 胃癌 胃癌)、癌を予防するという例の両方が報告され結論が出ず、人の臨床調査も行われていません。
アセチルコリンのような広範囲な神経細胞で使われている伝達物質では「単一の効果」を期待するのは難しいのかもしれません。
ステロイド(コルチゾル)
2019年のNatureに注目すべき報告がありました。癌の患者さんの精神状態はPTSDと似ており、慢性的ストレスのために内因性のコルチゾルが高値になります。これが免疫抑制を起こし「治療の失敗」の原因になるという内容です。
血中のTSC22D3を測定することで、免疫不全状態が解ります。これが高値なら「ステロイド拮抗薬」を検討すべきかもしれません
腸の精神免疫学「炎症性腸疾患とステロイド」
ストレスが炎症性腸疾患を悪化させることは医師も患者さんも異論の無い周知の事実です。では、この機序は何でしょう?
2021年Natureで報告された仮説モデルでは最初の引き金は、「内因性ステロイド増加による免疫不全」です(下図)。
言うまでも無く治療の際に炎症を抑える目的でステロイドを使いますから、ステロイドは状況により「誘発因子」にも「寛解因子」にもなる訳です。Paradoxに思えますが、本来ステロイドは人体が分泌するホルモンですから、二面性があっても不思議ではありません(血圧を維持するアドレナリンが過剰でも不足でも病気になるのと同じ話です)。
上記のモデルは「ストレス⇒免疫異常⇒腸の炎症」の構図ですが2019年のCellの報告は「免疫異常⇒脳⇒鬱状態」という逆方向のモデルを提案しています(下図)。
つまり腸と脳の間には「両方向性の作用」がある訳です(更に腸内細菌も加わった3者の双方向性モデルが最近の説です)
なぜ免疫細胞の疲弊が起きるのかは未解明ですが(1)ミトコンドリアの粉砕(2)プリン代謝の異常(3)持続性の免疫チェックポイント阻害でも似た現象が起こる(2017年Nature)、ことから「無理に働き過ぎたT細胞がフリーラジカル等を蓄積して代謝不全に陥る」のでしょう。
GABA(抑制性伝達物質)
40年前、セルシン等の睡眠薬・精神安定剤使用者は癌のリスクが低いことが報告されました。
ベンゾジアゼピン系睡眠薬の作用は伝達物質・GABAを介します。従って、「GABAはストレスを抑え、癌も予防するのでは?」と期待されました。
しかし・・・
免疫の暗黒面 Treg(抑制T細胞)そしてBreg(抑制B細胞)
以前に紹介しましたが、癌の周囲には「免疫の暗黒面」と言うべき「癌を促進する免疫細胞」が集まっています。
その正体は「Treg細胞」「MDSC」「腫瘍関連マクロファージ(TAM)」「腫瘍内樹状細胞」です。
長い間「抑制性リンパ球」の研究はT細胞(Treg)が主でした。Tregは免疫を抑制し、癌を助けます。またCTLA4を発現しチェックポイント阻害剤のターゲットです。
しかしB細胞にも、同じ様な抑制細胞(Breg )が存在することが解りました。自己免疫予防という点では「善玉」ですが、癌に有利という点では「悪玉」です。
そして、この腫瘍内のB細胞(Breg)がGABAを分泌し、これが免疫抑制に働くと2021年 Natureに報告されました
免疫を抑制する「悪玉伝達物質」はプロスタグランジンEが有名でしたが(2015年Cell)、GABAも悪の仲間入りをした訳です。
以下、他の低分子性の神経伝達物質をリストアップします
セロトニン
鬱病の治療薬は脳内のセロトニンを増加させることで効果を発揮します。セロトニンは「幸せホルモン」とも呼ばれ、セロトニン⇒免疫活性化という面があり、長い間「善玉」と思われてきました
しかし最近の論文はセロトニンをアドレナリン、コルチゾルと並ぶ「ストレスホルモン」として分類しています(例)。
更にセロトニン⇒腫瘍↑ とう報告が多く(1,2,3,4,)癌の治療では、今は完全な「悪玉」です。化学療法の吐き気止めとして使われるセロトニン阻害剤は抗腫瘍効果が有ります。
NK1
この伝達物質は癌に関しては悪玉に間違いありません(2022年 Review)。化学療法の吐き気止めとして使われるNK1阻害剤(アプレピタント)は、抗腫瘍効果があり癌治療薬としての治験(フェーズT PVT1=アプレピタント)が進行中です。
(私見)「抗癌剤とは免疫療法である」というのが現代の理論です(⇒以前の記事)。ICD(Immunogenic Cell Death)が治療成否の鍵です。現在、癌の化学療法では吐き気止めとして(1)ステロイド(2)セロトニン阻害剤(3)NK1阻害剤、の3剤併用が標準です。しかしICDの観点からは(1)を止めて(2)(3)を増量するのが望ましいと言えます。
TRK
適応となる癌の患者さんは少ないのですが(TRK融合遺伝子が陽性の方のみ)、TRK阻害剤の癌への有効性は高く、全身に転移したステージ4の癌が、この薬剤だけで完全に消滅したという報告も散見されます。
「癌と神経伝達物質」の研究では最も成功した例と言えます。TRK阻害剤が著効する理由は競合する相手(ATP)が「非常に弱いから」という説が有力です(下図)が、「本来、脳で発現すべき受容体が異所性に癌で発現し、これを抑えたら癌が死ぬ」という現象には「信じられない偶然」としか言えません。
2019年記事より
概日リズムと癌
脳内時計はメラトニンで調整され睡眠リズムを司ります。これとは全く別の「1個の細胞レベルの分子時計」が全身の全ての細胞内にあります(下図)。これを利用している例として、細胞はDNA損傷の起きにくい夜間(=太陽光線が少ない)に細胞分裂を行います。この性質のため癌の転移は夜間に起こるという驚くべき事実があります(2022年Nature)。
細胞が集合した「臓器レベル」でもは時計はあり、代謝産物やホルモンを「時間通りに」、血中に放出し他の臓器と連絡をとることで全身のホメオスタシスが維持されています(2018年Cell)。この概日リズムが最も重要なのは1日3回の食事を処理する消化器系と肝臓・膵臓です。このホメオスタシスの破綻は全身の代謝異常(糖尿病など)の原因になります(2022年Nature Review)。
「精神的ストレス⇒概日リズムの乱れ⇒ホメオスタシスの乱れ⇒慢性炎症⇒癌促進」という仮説モデルが確立しています(2018年NatureReview)。つまり「寝不足は癌の原因になる」訳です。特に乳癌・前立腺癌のようなホルモン依存癌が影響が大きいようです。
一方、興味深い逆方向の仮説モデルもあります
癌組織⇒肝臓のリズムの強制変更⇒ホメオスタシスの乱れ⇒全身の代謝異常、悪液質という仮説モデルが2017年のCellに報告されました(下図)。
全身の器官が1日3回の食事時間に合わせて代謝を調整します。しかし癌だけは「唯我独尊」で時計を無視した独自の代謝(嫌気的リン酸化)を進めます。Warburg効果と呼ばれ、PETで癌が検出できる理由です。癌は時計を無視した「自分に優位な環境(Tumor Macroenvironment)」を全身に広げていきます。これが悪液質の正体であろうという仮説モデルです。
「狂った時計」が癌化に必要(あるいは優位)な現象ならば、逆に「時計を正常にすれば癌を抑制できるのではないか?」というアイデアが出てきました。従来は無かった新しいタイプの治療です。
この新しい試みはChronotherapyと呼ばれ、一定の効果が確認されています(2022年Review)。
癌の転移が専ら夜に起こることから、転移を調べる検査(血中CTC検査)の時間、抗癌剤・放射線の理想的な投与時間が模索されています。
2018年Natureに「REV-ERBs(=体内時計を形成する分子 上図)に作用する新規薬剤が極めて癌特異的な殺細胞効果を持つ」と報告され注目されました。その後、2020年に別グループも「追試」で効果を確認しました
一時、睡眠ホルモン「メラトニン」を癌の化学療法に併用すると有益であるという報告が相次ぎました。しかし効果を否定する報告もあり、2018年NatureReviewでは「更なる検討を要す」とされています。
<まとめ>
仕事中毒に陥っている方は「ストレスと癌の関係」を過小評価しがちです。しかし、この影響は想像以上に大きいという医学的証拠が蓄積しています。今回の記事が、(私自身も含めて)仕事中毒の方への警告になれば幸いです。