潰瘍性大腸炎の治療薬で大腸ポリープ・癌を予防できるか?


始めに
大腸癌の専門家なら一度は「メサラジン(潰瘍性大腸炎の治療薬)で大腸ポリープを予防できないか?」と考えるものです(理由は下記)。これを調べた臨床試験が日本から発表(Lancet)されました。「潰瘍性大腸炎ではない、家族性大腸腺腫症」の方で検討されましたが、結果は、「アスピリンの癌予防効果は再確認されたが、メサラジンには癌予防効果が無い」という結論でした。例え否定的な結果でも、この報告には重要な意義があります(だからLancetに掲載された訳です)。

何故、アスピリンが大腸癌を予防するか?これは肥満(脂肪細胞)、加齢、腸内細菌が原因となり「腸に慢性的な炎症が起きて癌の原因になる」からで、アスピリンは、この炎症を抑えるから、と考えられています(肥満と大腸癌加齢・炎症と大腸癌)。



メサラジンの特徴
基本的には「アスピリンと同じ(炎症を抑える薬)」なのですが、大きな違いは「吸収されない」点です。その為、作用は腸の粘膜表面に限局します。全身への影響が無いので副作用が軽度です。
 アスピリン  吸収される  作用は全身に及ぶ  全身的な副作用がある
 メサラジン  吸収されない  作用は腸腸粘膜に限局  全身的な副作用は無い

ですから「とにかく腸粘膜の炎症を抑えたい」という場合(潰瘍性大腸炎の治療)ではメサラジンが選択されます。大腸癌は粘膜から発生します。それならば「粘膜だけの炎症を強力に抑える」メサラジンの方がアスピリンよりも理想的な大腸癌予防薬になるのではないか?大腸癌の専門家なら一度は考える訳です。(但し、アスピリンのように「乳癌など大腸以外の全身の癌を予防する」効果は期待できませんが・・)



潰瘍性大腸炎の場合はメサラジンは大腸癌予防効果がある
この点については「メサラジンは炎症を抑えるが発癌は予防しない」という報告もあり、以前は論争もあったのですが、2005年のメタ解析では「発癌予防効果がある」と結論され、これが現在の「定説」となっています。

潰瘍性大腸炎の場合はアスピリンも大腸癌予防効果がある(2020年Review  2010年Review
理論的に癌を予防するはずです。しかし「アスピリンは腸の粘膜障害を起こし潰瘍性大腸炎を増悪させる」という報告があり、「潰瘍性大腸炎ではアスピリンは禁忌」というのが一般的です。
スリンダク(クリノリル)は「粘膜障害の軽いアスピリン(非ステロイド抗炎症剤)」として開発されました。「潰瘍性大腸炎の炎症を抑え、発癌を半分に抑えた」という報告もあります(2020年Review)。が、出血を増悪させる危険から「潰瘍性大腸炎では慎重投与」というのが一般的です。
(専門的)粘膜障害の無いアスピリンの開発を目指して アスピリンの作用はCOX1阻害とCOX2阻害が有り、前者が粘膜障害、後者が腫瘍抑制に関することから「選択的COX2阻害剤」なら「粘膜障害が無く腫瘍を抑制する」と予想されました。開発されたCOX2阻害剤(セレコキシブ)は潰瘍性大腸炎への治療にも期待されました(2005年文献)、が心筋梗塞を増加させることが解り、現在は選択肢から除外されています。しかし研究者は諦めずに「潰瘍性大腸炎に使えるセレコキシブ誘導体の開発」を目指しているようです(2020年文献
またNSAIDの粘膜障害を「気体メデイエイター(NO,CO,H2S)」が緩和することから「ガス分子を徐放するNSAID」の開発も進んでいるようです(文献)。
スリンダクはCOXのどこを抑えるのか?は「未解明」らしいですが、スリンダクの方がアスピリンよりも「粘膜障害は軽く、腫瘍抑制効果は高い」と言われており、研究者は諦めずに「潰瘍性大腸炎に使えるスリンダク誘導体の開発」を目指しているようです(2019年Nature)。
メサラジンは粘膜障害が無い訳ですが、なぜメサラジンが炎症を抑えるのかは、実は未解明のようです(意外な話です!)。COX1,COX2共に抑えない事が解っており、「NFκBを抑える」「PPARを活性化する」などの諸説があるようです。
最近はアスピリンの抗腫瘍効果はCOXと関係無いという報告も多く、「COX1-2理論」は下火のように思われます。「アスピリンに粘膜保護剤併用することにより抗腫瘍効果がキャンセルされる可能性は無いのか?」という重要な危惧は調べた報告は無いようです。

では潰瘍性大腸炎で無い場合は、なぜメサラジンは予防効果が無いのか?
これは、非常に重要な問題です。今回の報告が呼び水となり、研究者が「ポリープ予防効果のあるメサラジン誘導体の開発」を始めるかもしれません。そのような薬剤が開発されれば大腸の炎症を強力に抑えて「大腸癌予防の切り札」になる可能性があります。(私見)一つの可能性として大腸の厚い粘液層(下記)が邪魔してメサラジンが粘膜に到達できない(潰瘍性大腸炎では粘液バリアーが破綻しているので到達できる)のかもしれません。

「炎症性SPS症候群」にはメサラジンは有効か?
潰瘍性大腸炎が治癒した後にSPS症候群(過形成ポリープ多発症)が合併することが多く報告されています。(2021年 2017年 2016年 2015年 2015年(2) 2014年 2014年(2))。重要な事は、SPS症候群の中には「無症状で潰瘍性大腸炎と診断するほどではない、治療対象でもない軽度の大腸炎(上行結腸が多いです)」が合併することが稀でないということです(下図)。このような場合は、アスピリンまたはクリノリルを使うべきか?(粘膜障害が悪化しないか?)、メサラジンを使うべきか?(明白な腸炎が無ければ効果が無いのでは?)、あるいは両方を使うべきか?(副作用は?)、悩ましい問題になります。




以下は専門的な話(免疫の話)になります 

大腸は「腸管免疫」と関係が無い。そのため免疫学の興味の対象外であり、研究が送れている
「腸は人体最大の免疫組織(腸管免疫)」という話を聞いたことがあるかと思います。簡単に言うと「腸にあるパイエル板は人体最大の免疫組織であり、ここで腸内細菌と接触したリンパ球は武装(IgA抗体)して血流に乗り全身の粘膜に配置される(粘膜免疫)」という理論で、近年、免疫学で話題の分野です。但し、パイエル板は小腸に存在しますが大腸には存在しません(例外は虫垂)。ですから大腸は腸管免疫(粘膜免疫)とは全く関係ありません。以前の記事で紹介しましたが、「大腸癌への腫瘍免疫に影響するのは大腸内細菌ではなく、小腸内細菌らしい」ことも報告されましたので免疫学者は、ますます「重要なのは小腸。大腸は研究対象でない」と考えるでしょう。
専門的)大腸の腸管免疫 「比較免疫学」によれば、羊は小腸(パイエル板)が、ウサギでは巨大な虫垂が、ニワトリでは直腸(ファブリキウス嚢)が人の骨髄に相当する免疫器官です。人の虫垂や直腸のリンパ組織は「退化した器官にすぎない」と重視されていませんでしたが、最近「治療抵抗性で大腸全摘が勧められた潰瘍性大腸炎が虫垂切除で改善した」という報告がありました。一方、潰瘍性大腸炎は直腸に炎症が強いのですが直腸リンパ濾胞との関係の報告もあります。

大腸の「免疫寛容」に大腸癌予防の鍵がある!
小腸ではパイエル板(M細胞)が僅かにしかいない腸内細菌を「積極的に」取り込んでいます(免疫細胞の特訓のためです)。一方、大腸では小腸よりも遥かに多くの細菌がいます。なぜ、大腸の粘膜は多量の細菌に接しているのに免疫反応を起こさないのでしょうか?実は恒常的に炎症を起こしているのでしょうか?この辺に「潰瘍性大腸炎発症の秘密」「大腸癌予防の鍵」があるはずです(これは小腸の腸管免疫の話とは180度逆の話になります)。

このパズルを解くために重視されている研究は「大腸の厚い粘液層」「自然免疫レセプターの極性」です。いずれも「粘液バリアー」がキーワードです。

大腸の厚い粘液層2013年Review
小腸は栄養を効率良く吸収するために粘液層は薄いです。一方、胃粘膜は厚い粘液層で被われており、胃酸から粘膜を保護します。大腸は胃と似ていて「抗体が豊富な厚い粘液層」で被われており、これが食事抗原や腸内細菌へのバリアーになり免疫応答が起きない訳です(免疫寛容)。この粘液層が減少する(又はIgAが減る)と潰瘍性大腸炎が発症するという説があります。



免疫レセプターの極性2021年Review)
腸の粘膜では免疫応答レセプター(自然免疫レセプター=TLRと呼ばれます)が、管腔側(腸の内容、便や細菌が存在する側)には発現していません。だから食事抗原や腸内細菌に対して免疫応答が起きない訳です(免疫寛容)。しかし体内組織側には免疫応答レセプターは強く発現しています。腸内細菌が粘膜バリアーを破り組織内に侵入した場合(この時点で全ての腸内細菌は病原菌になります)、直ちに免疫応答で排除するためです。

「体内側のレセプター」が脂肪や加齢などの「内因的な刺激」により慢性的に活性化されると発癌の原因(慢性炎症)になる訳です。アスピリンはここを抑えると思われます。
一方、免疫応答レセプターが、管腔側にも発現して食事抗原や腸内細菌に対して免疫応答が起きると潰瘍性大腸炎発症になる訳ですが、現時点ではこの現象は報告されていません。また吸収されないメサラジンが管腔側の炎症をどう抑えるのかも、よく解っていません。



「粘液バリアーにより腸上皮は細菌・食事抗原から隔絶しているので炎症反応が起きない。このバリアーが破綻すると細菌・食事抗原が粘膜を破り侵入して「体内側」にある自然免疫レセプターを活性化し腸炎を起こす。」というモデルにパズルの解が隠れていると予想されます。このパズルが解けた時に「理想的な大腸癌予防薬(=大腸癌予防効果のあるメサラジン誘導体)」が完成するはずです。

この作用機序の違いに重要な鍵がある!
 潰瘍大腸炎の場合  粘膜バリアーが破綻し腸内細菌が炎症を起こす  メサラジンが有効
潰瘍大腸炎でない場合  脂肪細胞、老化細胞が炎症を起こす  アスピリンが有効