超早期転移理論は大腸癌の診療を変えるか?

1年前に「大腸癌の超早期転移」の記事を書きましたが、同じグループが2020年 Nature Geneticsに追加の報告を出しました。(NatureのReview)

新たに対象を大腸・肺・乳癌に広め457個の「原発巣と転移巣のゲノムの比較」をしました。超早期転移なら、両者の差は無く、晩期転移なら差がある(転移巣に新たなドライバー変異が見つかる)はずだが(下図)・・・結果は転移巣で新たな変異(metastasis-private mutations)は少なく、前者(超早期転移)の可能性が支持された、という内容です。




この報告では、もう一つ、注目された課題があります。それは「良性ポリープの段階から転移(血中流出)が起きているのではないか?」という疑問です


2019年Natureより

一般的な検査ではないのですが「血中循環腫瘍細胞(Circulating Tumor Cell =CTC」を検査することが可能です。今までは、「CTCは予後の不良な癌(転移+)のマーカーであり、転移(-)の癌や、良性腫瘍では陽性にならない」というのが常識でした。CTCの検出は技術的に難しく、精度は改良により向上しています。そして、検出感度の向上(Ultrasensitive CTC detection )により「良性ポリープの実に80%でCTCが検出される」という驚くべき報告が2019年にありました。

     血液8cc中のCTCの数(平均値) 文献
 健常者  良性ポリープ  早期癌  中期癌  進行癌
 2個  6個  6個  15個  22個

「健常者」でも検出されるのは、内視鏡でポリープが見落とされているためと思われます。「バイオマーカーが内視鏡よりも感度が高い」という現象については以前の記事で紹介した通りです。この記事で指摘したように過剰診断が既に問題視されており、このUltrasensitive CTC法は手間(コスト)のかかる方法なので実用的意義があるか?は疑問ですが、この報告により「良性ポリープの血中流出」が臨床的に証明された訳です。
実は20年以上前にも「良性ポリープでCTCが陽性になった」という報告があったのですが、「例外的な現象」と思われ、あまり重視されませんでした。陽性率80%という今回の報告で、「普遍的な現象」であることが示された訳です。


癌の予後を決めるのは「転移」です。では、何が転移を決めるのでしょう?言い換えるなら「癌の進行過程に於いて、転移のボトルネック」は何でしょう?

従来は「浸潤(Invasion)という現象に転移のボトルネックがある」という考えが支配的でした。欧米の基準では「浸潤があって初めて癌と診断します(粘膜内癌は癌に入れない)」。これは「浸潤能こそが転移能の本質」「浸潤が無ければ転移は無い」という考えからです。一方「腫瘍の新生血管やリンパ管はバリアーが緩く、浸潤は転移の障壁ではない」という考えもありました。

浸潤した早期大腸癌のゲノム解析から、浸潤は「超早期に多クローン(同時多発)的」に起きていることが2020年に報告されました。つまり、ここにはバリアーは無く、ボトルネックではないという主張です。

これらの報告から・・・腫瘍はかなり早い段階から血中に流出する(一部は良性ポリープの段階からさえ)、転移で最大の障壁は「浸潤」ではなく「定着」である、という結論になります。



例えば大腸癌が肝臓に転移するか否かを決めるのは、「肝臓と腫瘍細胞の相性(niche)」であるという仮説が出されています(IEOモデル、2020年)。

同様にリンパ節に転移するか否かを決めるのは、「リンパ節と腫瘍細胞の相性(niche)」であると予想されます。

現在、早期大腸癌を内視鏡切除した後に、癌の深さ(浸潤度)と腫瘍がリンパ管・血管に浸潤している所見(Ly因子、V因子)で「外科手術の追加」の適応が決められます。そして「粘膜層にはリンパ管も血管も無いので粘膜内癌は絶対に転移しない」というのが定説です。しかし、最近、粘膜内癌が転移したという臨床報告が複数あります(2017年 2014年)。これらの症例報告は「極めて稀な現象」であり、治療方針を直ぐに変更するほどの意義はありませんが、将来、再検討の必要があることを意味します。



「定着」を決める遺伝子変化がMetastasis Driver(転移のドライバー)ということになります。先の報告ではTCF7L2、AMER1 、 PTPRT/STAT3の3つが転移のドライバー の候補です(ここは、更に研究が必要)。

将来的には「リンパ節・定着の「転移のドライバー」陽性なら追加手術(リンパ節廓清)が重要」、しかし「肝臓・定着の「転移のドライバー」r陽性なら追加手術の効果は期待できない。抗癌剤が重要」という方針になることが予想されます。

内視鏡で
早期癌を切除
   
 遺伝子を調べる
⇒ 
転移のドライバー 陰性  ⇒  浸潤が深くても外科手術は不要 
 リンパ節・定着の
転移のドライバー陽性
⇒   浸潤が浅くても外科手術(リンパ節廓清)が必要
 肝臓・定着の
転移のドライバーr陽性
 手術の効果は期待できない。抗癌剤が重要



STAT3が転移のドライバーである」という事実は前回の記事(ASAMETによる予防)と、深い関係があります。ASAMETはSTAT3を抑制することで効果を発揮するからです。実際にASAMETは大腸癌の転移を抑制することが2020年に報告されています。





超早期転移理論が乳癌で紹介された当初、医師達は猛反発しました。そのような理論は絶望を生むだけであり何ら建設的な意義が無いように見えるからです。

しかし、冷静になって考えると、(少なくとも大腸癌では)以下のように、実は多くの建設的な提案をしていることが解ります。

(1)癌検診の目標を癌の早期発見から、癌の予防(ポリープ切除)にシフトさせるべきである
(2)転移のドライバー陰性ならば進行癌でも内視鏡で根治出来る可能性が高い(内視鏡的全層切除 EFTR 下図)
(3)転移のドライバー陽性でも肝臓・定着型かリンパ節・定着型かを調べることで合理的な治療ができる
(4)ASAMETのようにSTAT3を標的にした予防戦略の開発

超早期転移理論は大腸癌の診療を大きく変える可能性がある訳です。


内視鏡的全層切除 EFTRの模式図(まだ一般には普及していません)