2019年8月の記事は医療関係者の方の反響が大きかったので専門家向けに「分子生物学的な捕捉」を作りました。このページは完全に専門家向けです。
「超早期転移」の分子生物学的根拠

超早期転移の問題は換言するならCanonical Driversだけで転移が起こるか否かという問題になる

先のNature の論文では「Canonical Drivers ( APC, KRAS, TP53 、 SMAD4の組み合わせ)」 プラス 「one additional Metastasis Driver (TCF7L2、AMER1 、 PTPRT/STAT3)」で転移が起こるという仮説を出している(これを、彼らはモジュールと呼んでいる)

Canonical Drivers    Metastasis Driver候補   
 APC, KRAS, TP53 、SMAD4  +  TCF7L2、AMER1 、 PTPRT/STAT3
 =転移

しかし、実は「Canonical Drivers だけで転移が起きるのではないか?」という報告が最近、多い。複数の組み合わせでは、例えば「APC, EGFR, TP53 、TGFβ4の4つの変異を導入した正常腸細胞は転移する(2017年文献)」「KRAS、APC、P53で転移した(2017年文献)」という報告がある。更には単独でも転移能が十分であるのではないか?という報告もある。

転移の律速段階である以下の(1)~(8)がCanonical Driversだけで起こることが確認されれば「超早期転移の分子的証明(極めて重要な傍証)」になる。
(1)細胞-細胞結合の消滅(EMTマスター遺伝子Twist発現⇒カドヘリンの低下)
(2)運動能の亢進(Rho,RACによるアクチンの再構築と細胞の極性化、、インテグリンによる接着、ミオシンの収縮) 

(3)細胞外マトリックス分解(分解酵素の分泌増加) 
(4)Angiogenesis(低酸素応答HIFによるVEGF分泌) 
(5)血管への侵入(新生血管は細胞密着がゆるいので、ここは大きな障壁ではない) 
(6)血管内皮に付着する「一時的接着分子」発現(腫瘍側は糖鎖やインテグリン、内皮側はセレクチン、ICAM) 
(7)幹細胞化(テロメア短縮をせずに不死化して細胞供給をおこなう) 
(8)免疫回避 (PD-L1の発現)

この問題で良く研究されているのがSrcであるが、大腸癌で問題となる頻度の多い「早期ドライバー変異」はWNT(腺腫)RAS(左の過形成ポリープ)、RAF(右の過形成ポリープ)である

Srcと転移(上記(1)~(8)について)

(1)カドヘリンと結合したカテニンがチロシンキナーゼにより制御されていることが見つかったことから、SrcでEMTが起こるという報告は古く、1993年にJ Cell Biolに報告されています。2016年には、この問題を扱ったレヴューも出ています。マスター遺伝子(Twist)を介する作用と介さない直接作用の両方があります。最近は「経口のSrc阻害剤」を転移性癌の治療に使うという報告も見られます
(2)マトリックスへの足場依存消失はSrcだけでなく全てのOncogeneで起こる共通現象である。FAKkinaseからの「生存シグナル」が不要になるからである。これは、同時に運動性の亢進を意味する。SrcとRho,RAC、細胞運動性の直接的関係は2015年に報告がある
(3)マトリックス分解酵素の分泌がSrcを介して起こる、Src阻害剤がこれを抑えるという報告(2018年)がある
(4)bFGFが作用すると、Srcを介してVEGF分泌増加が起こるという報告(2015年)がある。但し(3),(4)とも「癌周囲の線維芽細胞」が分泌するという報告もあり混乱もある
(5)VEGFの作用で血管内皮の透過性は亢進する(癌細胞のSrcは関係ない)
(6)2009年に「Adhesion signaling – crosstalk between integrins, Src and Rho」という論文が出ている。通常、付着は炎症反で起こるが、興味深い2019年の報告がある(放射線治療により癌の血管内皮への付着が亢進する可能性があり、これにFAK kinase/Srcが関係している)
(7)Srcにより幹細胞化(stemness)が起こるという報告は非常に多い。最近の物では2018年の報告2019年の報告がある
(8)免疫回避は超早期転移には不要である。超早期ではパッセンジャー変異が蓄積されていないので抗原性が無いからである。臨床的事実として高転移性癌はSrc活性が非常に高い。遺伝子変異が少なくて「免疫的、代謝的に健全」でSrc活性だけが非常に高い場合(=超早期)が最も転移が起きやすい、という説は十分に合理的である。それでも「Srcで免疫回避が起こる」という証拠がある。2017年には「PD-L1 expression and correlation with driver mutations」 という報告があるが、現時点では「EGFRでPD-L1発現が上がる」という報告が多い

WNTと転移
WNTはβカテニンと深い関係がありWNTでEMTが起こるというモデルは、ほぼ確立されたと言える。「Wnt/β-catenin/EMT signalling pathway」という言葉を使う論文(2019年), 論文(2017年)もある。また腸管の幹細胞Nichの正体はPaneth CellのWNT分泌であるから当然の話であるがWNTの異常で腸の幹細胞化(Stemness)が起こる。 WNTとEMT,Stemnessの関係は2017年にOncogene誌にReviewが出ている。

RASと転移
RASにより幹細胞化が起こるという報告(2017年)がある。「RASとEMTのReview」が2017年のInt J Oncol誌にあるRASが運動能を亢進させて転移を促進するという報告,もある。また上記の2017年の文献はRASを転移の主役と結論している

RAFと転移

RAFが注目されて歴史が浅いため、RAFが、転移を起こすという報告はRASに比べると少ない。「RAFでEMTが起こる」という2018年の報告がある。RAFとStemnessの関係は2018年の報告にある。BRAFが変異したSSAPが「良性の段階でEMTを起こし、癌化すると早期転移する」という事実がある(参考 SSAPの二つの顔)。BRAFはKRASの下流であり、通常は上流の変異ほど広範囲な影響が出るはずだが「BRAF変異はKRASより、はるかに危険」という面がある(その機序は不明である)

超早期転移仮説よりも「WNTが異常になった腺腫、RAS・RAFが異常になった過形成ポリープ、そして、その両方が異常になった高度異型腺腫、SSAP with Dysplasiaは何故、転移しないのか?」の方が分子生物学的には重大な疑問になる転移は起きているが定着に失敗しているだけと推測する方が科学的である。

TCF7L2, AMER1 、 PTPRT(STAT3)と転移
(上記論文でのMetastasis Driver候補 )
TCF7L2はWNTの下流遺伝子、AMER1はAPCの関連遺伝子なのでMetastasis DriverよりもCanonical Drivers(WNT)の強化と言える。つまり同一システム内の重複変異である。これは同一の癌でRTK/RAS/MAPKの変異とRBの変異が重複(どちらもE2Fに行く)して見られるのと似ているが、WNTが転移で極めて重要であることを示唆している
唯一、PTRRTは純粋なMetastasis Driverと言える可能性がある。これはJAK/STAT3経路を活性化する。2012年のTCGAプロジェクトでは、ここの異常は全く報告されていない(TCGAでは原発巣しか解析していない!)。しかし転移とJAK/STAT3の総説が「2014年」「2014年」「2018年」に出ており、最近、重要性が注目さているようで、検索すると多くの文献が見つかる。PTRRT(STAT3)が探し求められたMetastasis Driverならば(そんな物があるのならばだが)、大発見ということになるが、どうだろう?

 そもそも転移という現象は個体発生で起こる生理的な現象であり、特殊な現象では無い(転移が無ければ我々の体は巨大な細胞の塊りにしかなれない。)しかしRASやRAFの変異した腺腫や過形成ポリープは転移を起こさないし、実験的にもマウスにRASやRAFだけで致死的な癌を作るのは難しい。それでMetastasis Driverの検索の長い歴史が始まった。
一方、RASやRAFの変異体が発癌性レトロウイルスにより過剰発現されると致死的な癌が簡単に発生する。RASもRAFも単純な細胞分裂因子ではなく、単独で転移・個体死を起こす遺伝子なのである。(自然には滅多に起きないが、発癌性レトロウイルスは巧妙な方法でこれをやり遂げる)。Metastasis Driverを仮定しなくてもCanonical Driversの強弱だけで転移を全て、説明可能である。
転移しない癌(=CMS3)というのは、おそらく最初のドライバー変異が「弱い」のであろう。では、その後の腫瘍進化で転移能を獲得する(CMS4に進化する)チャンスはあるだろうか?無論、ゼロでは無いが小さいだろう。変異が蓄積されればアポトーシスを起こし易くなる。(これを乗り切るためにp53やp21変異が追加される)またパッセンジャー変異の蓄積で抗原性が高まる(攻撃を回避するためにPD-L1発現が追加される。)そのような「継ぎ接ぎだらけのゲノム」の癌は代謝的に不健全であり転移(定着)できる可能性は低いだろう。腫瘍進化もダーウインの理論(中立変異と淘汰)に従う。転移を起こす遺伝子変異は原発巣で発生するはずだが、転移能は原発巣で「増殖に有利な変異」ではないのだから獲得しにくいはずであり、原発巣での優位特質(=Canonical Drivers)で転移すると考える方が合理的である。この臨床的に極めて重要な問題は数年以内に分子生物学者達が結論を出してくれるだろう



「転移する癌は1cmで転移する。1cmで転移しないなら、まず転移しない(癌もどき)」という現象を別の観点から(数学的に)見てみましょう

最後に個体を死に至らしめる大きな癌も「1個の癌細胞」が指数関数的に分裂した物です。遺伝子変異の蓄積で途中から分裂速度が変わりますから、時間軸は、単純なグラフにはできません。しかし「分裂回数」と「腫瘍のサイズ」の関係は遺伝子変異の影響を受けないので、この両者には指数関数が成り立ちます。すると下の有名な、昔からあるグラフになります。

我々は直感的に「5ミリの倍は10ミリ(比は1:2)、死はその数十倍」と考えてしまいますが、肉眼レベルでなく細胞レベルで考えなければいけない訳で、「5ミリは2の25乗、10ミリは2の30乗、死は2の40乗(比は25:30:40=5:6:8)」です。癌の発生を、個体の死を40とすると、5ミリは25で中間地点を過ぎており、1cmは30で死に近い訳です(進行に伴い分裂速度は早まることが多いので「分裂1回~20回の時間」よりも「20回~40回の時間」は、かなり短いはずですから、かなり近いでしょう)



上記の遺伝子異常は乳癌、大腸癌以外の多くの癌に共通の現象であり、超早期転移は他の癌で普遍的に起きているはずと推測するのが合理的です
今後、Natureと New England Journal誌以外でも、この問題は広く取り上げられるでしょう。

「検診から予防へ医療資源をシフトさせるべきである」という意見が必ず出るでしょう

具体的には
胃癌の検診よりも「ピロリ菌の除菌へ」
肺癌の検診よりも「喫煙の法的禁止へ」
子宮癌の検診よりも「HPVワクチンへ」
医療資源をシフトさせるべきであるということです

このパラダイムシフトを推進することが我々、現在の臨床医の歴史的使命なのでしょう