このページは完全に専門家向け「分子生物学的な捕捉」です。
「超早期転移」の分子生物学的根拠
論文の主旨は「原発巣と転移巣のゲノムの比較」をし、超早期転移なら、両者の差は無く、晩期転移なら差がある(転移巣に新たなドライバー変異が見つかる)はずだが(下図)・・・結果は転移巣で新たな変異(metastasis-private mutations)は少なく、前者(超早期転移)の可能性が支持された、という内容である。



超早期転移の問題は換言するなら「Canonical Driversだけで転移が起こるか否か」という問題になる

「Canonical Drivers だけで転移が起きる」という報告として「APC, EGFR, TP53 、TGFβ4の4つの変異を導入した正常な人の腸細胞は転移するという2017年文献がある。


一般化するなら
転移の律速段階である以下の(1)~(6)がCanonical Driversだけで起こることが確認されれば「超早期転移の分子的証明」になる。
 (1)細胞-細胞結合の消滅(EMTマスター遺伝子発現)
(2)運動能の亢進(Rho,RACによるアクチンの再構築など) 
(3)細胞外マトリックス分解酵素の増加)
(4)Angiogenesis(新生血管は細胞密着がゆるいので、血管への侵入は障壁ではない) 
(5)幹細胞化
(6)免疫回避 (PD-L1の発現)

最も古くから研究されている癌遺伝子Srcでは上記(1)~(6)の全てがSrc単独で十分であるという証拠が既に出ている
Srcと転移
(1)カドヘリンと結合したカテニンがチロシンキナーゼにより制御されていることが見つかったことから、SrcでEMTが起こるという報告は古く、1993年にJ Cell Biolに報告されています。2016年には、この問題を扱ったレヴューも出ています。マスター遺伝子(Twist)を介する作用と介さない直接作用の両方があります。最近は「経口のSrc阻害剤」を転移性癌の治療に使うという報告も見られます
(2)マトリックスへの足場依存消失はSrcだけでなく全てのOncogeneで起こる共通現象である。FAKkinaseからの「生存シグナル」が不要になるからである。これは、同時に運動性の亢進を意味する。SrcとRho,RAC、細胞運動性の直接的関係は2015年に報告がある
(3)マトリックス分解酵素の分泌がSrcを介して起こる、Src阻害剤がこれを抑えるという報告(2018年)がある
(4)bFGFが作用すると、Srcを介してVEGF分泌増加が起こるという報告(2015年)がある
(5)Srcにより幹細胞化(stemness)が起こるという報告は非常に多い。最近の物では2018年の報告2019年の報告がある
(6)「Srcで免疫回避が起こる」という証拠がある。2017年には「PD-L1 expression and correlation with driver mutations」 という報告がある
RSV(ラウス肉腫ウイルス)を感染させた個体(鶏)は短期間で肉腫が全身に転移し癌死する。これはSrc単独で高転移能の癌を作るのに十分であることを示唆している。


大腸癌で問題となる頻度の多い「早期ドライバー変異」はWNT(腺腫)RAS(左の過形成ポリープ)、RAF(右の過形成ポリープ)である

WNTと転移
WNTはβカテニンと深い関係がありWNTでEMTが起こるというモデルは、ほぼ確立されたと言える。「Wnt/β-catenin/EMT signalling pathway」という言葉が既に複数の論文で「既定用語」として登場する(文献1, 文献2)。また腸管の幹細胞Nicheの正体はPaneth CellのWNT分泌であるから当然の話であるがWNTの異常で腸の幹細胞化(Stemness)が起こる。 WNTとEMT,Stemnessの関係は2017年にOncogene誌にReviewが出ている。
WNTをMetastasis Driverとすると転移における「上皮⇒間葉⇒上皮」の移行が説明できる。正常腺管と同じく大腸癌組織内では幹細胞(WNT強陽性、間葉系)と一期的増殖細胞(WNT陰性、上皮系)の分化状態の混在(Plasticity)が見られる。幹細胞の状態で転移し、定着後は再び上皮へ分化して増殖するという現象が、「WNTの生理的現象」として説明できる(2019年のレヴューに詳しい。下図)

癌と対照的に腺腫は「ほとんどが幹細胞からなり一期的増殖細胞への分化は僅か(文献)」であるから「腺腫は癌以上に転移能がある。しかし定着後の増殖が緩慢なので臨床的に問題にならないだけ」ということになる。


RASと転移
RASにより幹細胞化が起こるという報告(2017年)がある。「RASとEMTのReview」が2017年にあるRASが運動能を亢進させて転移を促進するという報告,もある。また2017年の文献RASをMetastasis Driverと結論している


RAFと転移

RAFが注目されて歴史が浅いため、RAFが、転移を起こすという報告はRASに比べると少ない。「RAFでEMTが起こる」という2018年の報告がある。RAFとStemnessの関係は2018年の報告にある。BRAFが変異したSSAPが「良性の段階でEMTを起こし、癌化すると早期転移する」という事実がある(参考 SSAPの二つの顔)。


TCF7L2, AMER1 、 PTPRT(STAT3)と転移

先のNature の論文では「Canonical Drivers ( APC, KRAS, TP53 、 SMAD4の組み合わせ)」 プラス 「one additional Metastasis Driver (TCF7L2、AMER1 、PTPRT/STAT3)」で転移が起こるという仮説を出している(これを、彼らはモジュールと呼んでいる)

Canonical Drivers    Metastasis Driver候補   
 APC, KRAS, TP53 、SMAD4  +  TCF7L2、AMER1 、 PTPRT/STAT3
 =転移

TCF7L2はWNTの下流遺伝子、AMER1はAPCの関連遺伝子なのでMetastasis DriverよりもCanonical Drivers(WNT)の強化と言える。つまり同一システム内の重複変異である。WNTが転移で極めて重要であることを示唆している
唯一、PTRRTは純粋なMetastasis Driverと言える可能性がある。これはJAK/STAT3経路を活性化する。2012年のTCGAプロジェクトでは、ここの異常は全く報告されていない(TCGAでは原発巣しか解析していない!)。しかし転移とJAK/STAT3の総説が「2014年」「2014年」「2018年」に出ており、最近、重要性が注目さているようで、検索すると多くの文献が見つかる。PTRRT(STAT3)が探し求められたMetastasis Driverならば(そんな物があるのならばだが)、大発見ということになるが、どうだろう?