内視鏡とプリオン(ヤコブ病)について(内容は専門的です)

   

共食いによって発生するプリオン
生体を構成するタンパク質は通常は個体の死と共に地に帰ります。しかし・・・「共食い」が起きると「自己複製するタンパク質(=プリオン)」は個体から個体へと長い世代を継代されていきます。すると、タンパク質の複雑な構造(専門的にはコンフォメーションと言います)に変異が蓄積されていきます(この変異も自己複製されます)
こうして変異したタンパク質が脳に沈着して痴呆を起こすのがプリオン病(ヤコブ病)です
ニューギニアの食人族に見られるクールー病が昔から知られていた代表的なプリオン病でした。そして1990年代後半、羊や牛に効率的な牧畜のために肉骨粉を「共食い」させて発生したのが狂牛病(BSE)です。この牛を食べた人にヤコブ病が発生し大騒ぎになったのは記憶に新しいことと思います。
病気の牛・羊を食べる以外に硬膜移植、角膜移植、死体の脳から抽出した成長ホルモンの投与でもヤコブ病が発生することが報告されています。これらを「バイオテクノロジーが生んだ医源性の共食い」と呼ぶ専門家もいます。


内視鏡によって「タンパク質レベルでの共食い」が起きている
タンパク質分子のレベルで考えると内視鏡では共食いと同じ現象が起きています。何故か?ポリープを切除したり細胞検査をすると機器に大量のタンパク質が付着します。もちろん、検査毎に機器は厳重に洗浄・消毒が行われますが、これらの処置でウイルスや細菌は死滅しますがタンパク質分子を完全に除去するのは不可能だからです。
この問題は2000年頃に欧州で問題となり、フランスではテレビで専門家が発言したためパニックを起こしました。



今日、内視鏡の感染の最大の脅威はAIDSや肝炎ではなくプリオンである
多くの方は内視鏡を介した感染と言うと最初に心配するのはAIDSや肝炎ウイルスでしょう。しかし、その心配は、まず杞憂です。現在、市販されている内視鏡の消毒薬(高レベル消毒薬)は、これらのウイルスをターゲットにして開発されたと言ってもいいもので、これらのウイルスは完全に死滅します。
しかしながら、高レベル消毒はプリオンに対しては全く無力です。内視鏡機器を破壊することなくタンパク質分子を完全に除去することは現代の科学技術では不可能なのです。




代表的なプリオン病はヤコブ病とアルツファイマー病である
実はプリオンという現象は人類が想像していたよりも生物界に広く起きている普遍的な自然現象であるというのが今日の分子生物学の知見で、今後、医学の進歩でプリオン病のリストは増えていくはずです。
当面、重要な疾患は2つです
一つは英国を中心に大流行した変異型ヤコブ病(BSE)です。しかし、この病気は感染した牛、羊の処分と莫大な費用をかけた「全頭検査」により確実に「過去の災い」になりつつあります。



そして、もう一つの重要な病気がアルツファイマー病です。

アルツファイマー病の原因は「ベータ・アミロイド」というタンパク質なのですが、ベータ・アミロイドがプリオンであるという説は専門家の間では今日では常識です。マウスやチンパンジーを使った実験ではアルツファイマーが「感染」することが複数の報告で証明されています(下記 資料)。では、内視鏡を介してアルツファイマーが感染する可能性があるか?理論的には「ありうる」が正答です。では危険性がどの程度か?これは人体実験をしない限り、誰も解りません。想像よりはるかに高いかもしれません。あるいは米国産の牛肉を食べるよりも低いかもしれません。


プリオンへの対策とは?
ウイルスや細菌と異なりプリオン(タンパク質)には消毒・滅菌は全く無力です。「医療機器の共同使用」という問題への発想を根本から変えなければいけません
日本の学会は、この問題を大きく取り上げることがないままBSE問題は下火となり専門家は注目しなくなりました。しかし患者が大量に発生した欧州では深刻な問題として下記のような対策のガイドラインがつくられました。
  1. 処置具を使い捨てにする
  2. 処置具が通過する内視鏡チャンネルを十分にブラッシングする。ブラシは使い捨てにする
  3. プリオン病の可能性のある人と健常者の内視鏡機器を分ける

内視鏡以外にもに歯科、眼科、口腔外科、耳鼻科、脳外科、脊椎外科など多くの医療には「医療機器にプリオン・タンパク質が付着する」という状況が内在しています。外科的な医療を受ける限り、プリオンの危険を完全にゼロにすることは不可能です。「プリオンを心配して医療を受けないのはナンセンスである。しかし対策をとることで可能性を極力、低くすべきである」というのが欧州のガイドラインの考えです。



大腸の粘膜下層に存在するプリオンタンパク(文献


当院の取り組み

2005年に日本で「使い捨てブラシ」の販売が始まると同時に、当院では上記の対策1〜3を導入しました。日本では今日、対策1を取っている専門施設は多いですが「対策3」まで施行している施設は日本では当院のみです

以下に当院の対策3について述べます。

英国帰国者への予約制限
英国でのBSEの大流行を受け日赤が「英国帰国者の献血をお断りする」という方針を出しました。これを受け、2005年より当院では英国帰国者の方の予約を制限させていただきました。多くの方の予約を、お断りし御批判をいただきました・・・・その後、、英国での変異型ヤコブ病の新規発生が皆無に近い状態が続き、日本での「英国帰国者のヤコブ病患者の発生」が2005年2月の報告が最後であることから日赤の「献血制限」が2012年に緩和されました。これを受け2012年8月より英国帰国者の方への予約制限を廃止しました

アルツファイマー病の方への予約制限
この方針は2005年より一貫しており、廃止する予定は現時点ではありません。
私の出身医局(東大第一内科第八研究室)は日本の内視鏡の中心となっている研究室で、私は日本の最高責任者というべき先輩の医師達と議論する機会がありました。私は「痴呆患者に使用した内視鏡を健康な若者の検診に使用すべきではない」と主張しましたが「鈴木の意見は過激すぎる。人権問題になる」と異端視されました。しかし何人かの医師は「自分が内視鏡を受けるなら鈴木の所で受ける」と本音を述べました。


2024年補足 新たにパーキンソン病その他の全ての神経変性疾患の方も予約制限の対象として拡大します(⇒詳細



資料
Science October 21, 2010
外部から投与された感染性アルツハイマー病タンパク質が脳に侵入する
Proc Natl Acad Sci U S A. 2010 Feb 2;107(5):2295
合成されたアミロイドタンパクの脳室内注入によりマウスにアルツファイマーを発症させることに成功・・・感染性アルツハイマー病タンパク質の概念が証明された
Prion. 2009 Oct;3(4):190-4.
プリオンとアルツファイマーの関係についてのレビュー
プリオンタンパクはアミロイドタンパク(アルツファイマーの原因)と相互作用してい.る。一方の異常が他方の異常を誘発すると予測する
Mol Psychiatry. 2012 Dec
アルツハイマー病患者の脳組織を動物に注射してアミロイド沈着を起こすことに成功
Ann Neurol. 2011 Oct;70(4):532-40. doi: 10.1002/ana.22615.
アルツファイマー病の原因アミロイド蓄積がプリオンと同様に外部から「種となる微量アミロイド」への暴露で連鎖反応を起こす
Nature 457, 7233 (Feb 2009)
プリオンはベータアミロイドによる神経損傷のメデイエイターであり、アルツハイマー病にも関係する
Cell. 2009 Jun 12;137(6):997-1000.
アルツファイマーの原因タンパク質がプリオンと結合することを確認した