妊娠で腸が伸びる!腸は味覚がある!

短腸症候群の治療薬としてGLP作動薬が使われています。これはGLPが腸の上皮の増殖を促進するからです。でも短くなった腸管自体を伸長させる効果はありません。では薬物治療で腸管の伸長を起こせないのでしょうか?
解決のヒントは「成体で発生のプロセスが再活性化される」現象である妊娠にありました!

最近のCell「妊娠中にマウスの小腸が3割、伸長する」という驚くべき報告がありました。
これは妊娠中に栄養吸収を最大限にするためで、既に昆虫のメスでは確認されていた「普遍的な生命現象」で、今回初めて哺乳類にも確認されたという話です。当然、人間にも起きていると予想されます。

妊娠で腸が伸びることを解説した図

「上皮の過形成だけでなく筋層も含めた器官全体が伸長しているのか?」が最大の疑問なのですが、この現象は以下のように分けられます
上皮の過形成 
SGLT3がトリガー 可逆的(出産後に戻る) 
 器官全体の伸長  トリガー不明
解明されれば
短腸症候群の治療に!
 不可逆的(出産後に戻らない)
non-epithelial elongationの部分は少し歯切れが悪いのですが、以下の2点から説得力があります。
(1)妊娠中には子宮、心臓など多くの器官に「リモデリング」が起きます。それらは筋層や間質を含みます。小腸に「リモデリング」が起きても不思議ではありません
(2)腸管の伸長は一度妊娠した母親は次の妊娠がスムーズになるように変化する「妊娠プライミング」と言えます。最近、この妊娠プライミングに胎児由来細胞キメラが関与していることが注目されています(⇒胎児が母体に残す細胞が母親の将来の妊娠を支える)。この妊娠プライミングの正体は免疫寛容(胎児拒絶の防止)であり、腸は最も原始的な免疫教育器官ですから腸にも胎児由来細胞キメラはいるはずです。

さて、伸ばすことができるなら、阻害剤で腸を短くすることも理論的に可能性が有ります。現時点で、そのような研究報告はありませんが便秘症(大腸過腸症)を薬で根治する時代が来るかもしれません。
とりあえず薬物で器官のサイズ変化はハードルが高そうですが、「短腸症候群の方に薬物(SGLT刺激薬)で絨毛の過形成を誘導」したり、逆に「栄養過剰(メタボ)の方に薬物(SGLT阻害剤)で絨毛の萎縮を誘導」する医療は目前と言えます。



グルコース・トランスポーターと腸

この研究のもう一つの注目点はSGLT3というグルコース・トランスポーターが腸の伸長のトリガーだということです。栄養吸収を上げる目的の伸長ですが,糖の無い飢餓状態で伸長しても無意味ですから合理的な話です。

これとは別に、最近のNatureに面白い論文がありました。
腸のグルコース・トランスポーター(SGLT1)が糖を感知すると腸管の神経叢(原始的なミニ脳)に独特な神経興奮を起こすという研究です。つまり腸には味覚があり、糖を美味しいと感じて自分を伸長させている訳です!

尤も我々は原腸動物から進化したことを考えれば、これは驚くことではないでしょう。



さて、腸の伸長では、幹細胞活性化(Wnt系)が必須ですから、グルコース・トランスポーターは腫瘍形成とも深い関係があります。

最近、グルコース・トランスポーターの阻害剤が抗癌作用があることが注目されています。グルコース・トランスポーター阻害剤(SGLT2阻害剤)はもともとは糖尿病の薬ですが、メトホルミンと並んで、「糖尿病薬には抗癌活性がある」ことが解ってきたわけです。グルコース・トランスポーターは糖尿病分野での研究対象でしたが、今後は消化器癌の研究で重要な対象となるでしょう。

腸は味覚以外の「感覚」も持つ
これも当然の話です。「腸は第2の脳」と言われますが、これは間違いで進化的には腸(神経叢)が第一で脳の方が第2です。腸内は細菌叢がある「外界」ですから高度なセンサーが腸に無ければ我々は生きていけません。

単細胞生物も「光受容体(目)」「周囲媒体の振動検出器(耳)」「化学受容体(鼻、舌)」を完璧に持っています。我々の「五感」の受容体も単細胞生物の受容体から進化したもので基本骨格は同じです(多くはGPCR型受容体かイオンチャンネル型受容体で進化的に最も古い受容体)。
我々の眼や耳などの感覚器官は「受容体」が特別に多い専門の細胞を持ちます。しかし、感覚器官以外の細胞にも普遍的に「受容体」が発現しています。

細胞に広く発現しているセンサー
温痛覚受容体   視覚(光受容体) 聴覚(液体振動受容体)   嗅覚・味覚(化学受容体)
 TRP
チャンネル
 エンセファロプシン
Opn3
 Piezo
チャンネル
 OR系受容体


このようなセンサーと癌との関連が注目されています。
最も研究が盛んなのはTRPチャンネルで細胞に「酸化ストレス耐性」を起こします。癌ではこれが過剰発現しています。
またPiezo(触覚、聴覚に相当)は大腸に多く発現し過敏性腸症候群との関連が研究されていましたが(2023年Nature)、2024年にはPiezoが腸幹細胞の維持に関与しているという報告がありました(当然腫瘍発生にも関与しています)。更にOpn3やOR系受容体と癌の関連の研究も盛んです。
受容体は創薬ターゲットになります。古典的なRTKやGPCRは長年研究され数多くの医薬品が開発されました。製薬企業は新たな創薬ターゲットを探して、これらの受容体を研究している訳です。



(追記)妊娠は研究の宝庫?

最新のScienceに興味深い記事がありました。要約すると「近年、精神疾患を免疫の異常と捉える免疫精神医学が注目されている。ところで妊婦の免疫システムは胎児(異物抗原)を排除せずに感染症と戦うという人生で最も過酷な状況にある。これが妊婦の様々な精神疾患の原因であり、これを研究することは通常の精神疾患の治療につながる」です。
2024年Nature に興味深い報告があります。何と「妊娠中に妊婦の脳の容積が減少することをMRIで確認した。」という報告です。この結果、母親は子供以外への関心が低下します。但し「脳の委縮」という表現は使われず「シナプスの選択的刈り込み」「神経回路の最適化」「脳の可塑性」という用語が使われます。しかし妊娠で晩年には脳が大きくなるポジティブな効果も証明されました。つまり女性は妊娠中は「子供以外のことを考えない」子供が成長したら「幅広く考える」訳です。「脳のサイズが生理的に変動する」という驚くべき現象の解明は認知症の治療につながるはずです。

お詫び>今回の記事を「医者は妊婦を材料にして研究しようとしている」と不快に感じられたら、申し訳ありません