腺腫は、もはや主役ではない

私が大学を卒業して東大医科研で分子生物学の研究に従事していた1990年代初め、大腸癌の遺伝子解析は飛躍的に進歩しました

(1)まず家族性腺腫症の原因遺伝子(APC/WNT)が同定されました
(2)次に、一般の大腸癌の大部分で「APC/WNT」が異常であると報告されました(Natureのこの論文を読んだ時の衝撃は今も忘れられません)
(3)次いで、一般の腺腫で、「小さい物でも全てがAPC/WNTが異常」であると報告されました
(4)しかし過形成ポリープは「APC/WNT」の異常は全く見られませんでした

こうして「全ての大腸癌は腺腫から発生する。過形成ポリープは癌化しない」という理論が分子生物学的に確立しました。

一方、腺腫と大腸癌の疫学的調査から「腺腫が大腸癌に変わるという理論には統計的な矛盾がある」という主張もありました(中村恭一氏:「大腸癌の構造」

一部、反論もありましたが長い間、過形成ポリープは放置されるという時代が続いた訳です

そして現代・分子生物学の導き出した予想は「大腸癌の半分は、起源は過形成ポリープである」です

では、どうして、上記のような間違いが起きたのか?

下の図で説明します





現在は腺腫であろうと過形成であろうと、「APC/WNT」の異常は大腸の癌化に必須のステップであると考えられています

腺腫は、「一番最初に」APC/WNTの異常が起きます(APC/WNTが異常になった細胞は病理学的に腺腫と呼ばれる、と言う方が正確です)

それに対して
過形成が癌化する場合は「一番最後に起きます」。この頃の段階(SSAP with Dysplasia)は進行が早いために、臨床の場では中間病変が滅多にしか捉えられないのです。そのため「良性の過形成ポリープを調べてもAPC/WNTの異常は無い」という結論が出たのです。

過形成ポリープの癌化(Serrated Pathway)におけるAPC/WNTの異常の意義が広く認識されたのは、ここ数年の話です(下記文献)

こうして我々、大腸の専門家は今「30年来の謎・パズルがようやく解けた」と思っているのです

文献


以下は私見です。
最近の報告を見ますと、そもそも腺腫と過形成ポリープを分けることに、もはや医学的意味がないように思います。混合型、中間型が非常に多いからです。これは「遺伝子不安定性が過形成ポリープの重大な特徴」だからです。遺伝子が不安定になれば、容易に遺伝子変異を獲得し、過形成ポリープは瞬時に「腺腫化」する訳です





下の図は2012年の米国TCGAプロジェクト(大腸癌全ゲノム解読計画)の結果です。この図でHyperMutataedと記載されている(右側BOX)のが「過形成ポリープ由来の癌(CMS1 MLH1サイレンス癌)」です。Non-HyperMutatedと記載されている(左側BOX)のが「CMS1以外の癌」で、多くは腺腫由来です。TGFβだけ、頻度が87% vs 27%と違いますが変異している癌遺伝子の多くは両者に共通であり差は無いことが明白です。

我々内視鏡医は、常にポリープを「観て診断」します。その為に「顔つき、外観」から「腺腫か過形成ポリープか」をまず考えるのが習慣です。しかし、これは日本人を顔で南方系、北方系と分けるようなもので、遺伝子には本質的な違いは無く、分子生物学的には意味の無い分類であるということです。(そもそも遺伝子変異は偶然に起きます。その後に、優位な性質が選択されます。腫瘍進化も、またダーウインの進化論に従うというのが現在の理論です。Adenoma Pathway 、Serrated Pathwayなどというのは、最初から存在しません。偶然と自然淘汰の結果であるポリープ、癌を我々は見ているに過ぎません。)